
いよいよ3月ですね。明日(2日)は入社式。たんまりとすごしてきた学生生活も今日で終わりです。少し大学生活を思い返してみましょう。学生生活の中で、「これを頑張った」と思えるものは・・・申し訳ないが、祭りのことが一番に思い浮かびます。
うちの町の新調が決まったのは私が高校3年生の時。当初は大修理として協議が進むのだったものから、破損状況や他地区の新調状況などから町全体に新調の気運が高まり、町会にて正式に新調が決まりました。
青年団からも新調委員のメンバーを出すことになり、まだ17歳のガキンチョだった私は「詳しいんやからお前行けお前行け」と乗せられ、新調委員会に入りました。初めて新調委員会議に出席した時はあまりの次元の違いにカルチャーショックを受けました。
元々私は地車本体に興味を持っていませんでした。祭り自体の仕来りや地車の装飾などは好きでしたので、その方面で意見できたらいいと思ってましたが、そんなことも言ってられず、1年余りは必死で地車本体のことを勉強しましたね。
勉強しているうちに彫刻も好きになりました。彫刻にどんなけこだわりを見せて、どんなけ町の特色を出せるのか考えて、今の地車の想いを引き継げるのかなんかを考えて、ひとつひとつ新調地車の彫刻場面を決めていくごとに、そのひとつひとつの場面が自分の子供のように愛おしく感じるようになりました。
月1回ぐらい、何百キロも離れた彫刻師さんとこに打ち合わせ行って、だんだんと彫刻が出来上がってくるのを見てたら「もうやぐらら作らんと飾っときたい」と思うぐらいに愛着がわいてきました。
そうしてる間に、本来やりたかった装飾や太鼓の班長を任せられるようになり、そっちの方にもいっぱい考えさせられましたね。木の色身、幕の色味、金縄の色味、提灯の色味、目ぇ瞑って何時間も想像して考えました。
最近は少しゴタゴタがありましたが、彫刻はほとんど出来上がってきたし、幕も太鼓も目処が付いた。今まで「出来るか出来へんか」なんて思ってましたが、いよいよ新調入魂式まであと1年になったんですね。今までのような『大工さんに任せっきり』の地車やのうて、『みんなで作った地車』が出来るんです。7年かかりました。
この間、私は高校を卒業し、大学を卒業し、明日社会人になります。7年間ずーっと祭りにかかりっきりやったんですね。もちろん祭りだけやってたわけじゃありません。
高校3年の時、私は体を悪くして半年ぐらい学校を休学してました。生まれつき心臓と肺が悪かったんですが、この年に左の肺に大きな気胸を起こし手術をしました。30分手術が遅れていれば心臓の負担が限界になり、命も危ない状態だと言われました。
手術はうまくいき、左肺が圧迫していた心臓の状態もずいぶんよくなりました。お医者さんからも「もう心配はいらないよ」と言ってもらえ、それまで7回も起こしていた気胸はその後今まで1回も起こらなくなりました。今では胸の痛みもなく、血圧も正常です。
病気が回復したのは年が明けてから。高校は卒業できましたが、病院で寝たきりだった私は受験勉強を一切してませんでした。それでも高校側の勧めもあり、いくつか試験を受けました。その結果、某大学の商学部に受かりましたが、勉強せずに大学行くのは嫌やということと、経済学を勉強したいという理由で進学をせず、1年間の浪人生活。
浪人生活を経て、経済学を真剣に学べるところ、真面目に勉強できる校風、まだ病気の心配もあったので自宅から通学できる範囲でという理想にも合致し、現在の大学に推薦で入学しました。奨学金を貰っての特待生です。
大学では、ずっとやりたかった経済学を真剣に勉強しました。うちの大学では、外部講師や有名企業を招いての特種講義が充実していていたので、本当にためになることを沢山学びました。沢山の友達も出来ました。
2回生の後半からはゼミが始まり、私は学内で一番人気のあるゼミに受かりました。いい先生にもめぐり合ったと思います。論文も沢山書きました。賞も貰いましたね。賞金もたんまり貰いました。
3回生の後半からは就職活動。前にも書きましたが、ほんまにいっぱい会社を回りましたね。内定も沢山頂きました。その中のひとつに私は明日からお世話になります。
長いようでとっても短い学生生活でした。もっと遊ぶこともできたし、楽しいこともあったんやろうけど、祭りに全力を傾けていたこの数年間はとても充実していました。小さい頃からずっとやりたかった経済学も勉強することができました。定年後は数学とか研究したいな。
明日から40年は仕事人間になると思いますが、自分の力を最大限発揮できるように、背伸びせず頑張って生きたいと思います。