2008年05月01日

屋根型の話

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屋根の形は一番初めに決定するのであった。

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2008年03月30日

下出やぐら新調入魂式

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入魂式当日の朝に組み上がった新調やぐらを初めて見ました。

新調委員として7年。精魂込めて製作した思い入れのある宝物。

先代の姿見を踏襲している為、初めて見た気がしなかった。

鬼板も見送も垂木も懸魚も枡組も幕板も欄干も力士像も金縄も本幕も擬宝珠も、たくさんの挑戦がありましたが全く違和感ありませんでした。

でも匂いは新調やぐら。

木を買って、木取りをして、彫刻が彫り上がってと、何度も何度も新しい木の匂いを嗅いでいる筈なのに、カタチになったらこんなにいい香りがするのかと。なんかその檜の香りを感じたとき、ついに完成したのだと実感しました。

天気は生憎雨の為、宮入と少しの町内曳行だけになりましたが、見る人見る人、口をアングリ開けて目が点になってるのを見て、

「やったった」

この快感を味わう為に7年も頑張ってきたんだよなと、新調委員同士目が合えばニッタリと笑みを交わしてました。

彫刻の写真をたくさん撮りたかったんですけど、雨の為、小屋に仕舞った後に少しだけ撮影してきました。記念誌は9月ごろ発行される予定ですので、それまでのネタとして色んな製作秘話をお話してゆきたいと思います。

最後になりましたが、1年で一番忙しい日を無理やり休みにしてもらって申し訳ありませんんでした。会社の皆さんありがとうございました。ご迷惑をお掛けしましたが、改めて思い返してみると、今日帰ってなかったら一生悔いを残すことになったろうと思います。死んでも死にきれんかったでしょう。

ん?もうこれで死んでもいいんかって?

うんにゃ、このやぐらで本祭りをやってからでないと。
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2008年03月01日

一の谷の合戦

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おいらは言わずと知れた明石市に住んでおります。大阪方面に行くときは国道の2号線を通ります。2号線をどしどし大阪方面に行っていると須磨にさしかかったところに『一ノ谷』という場所があります。

無論、あの有名な一ノ谷の合戦があった場所。


源義経が一の谷の戦いを大勝利に導いたあの有名な鵯越の逆落としがあるが、それが行われた場所については説が分かれている。

一つは平家物語や昔からの言い伝えなどにより、 一の谷の背後にある鉄拐山の東南の斜面であるという説で、 もう一つは現在も地名として残っており神戸電鉄の駅名にもなっている北区の鵯越であるという説。

どちらの説もそれぞれ、地形や義経軍の進路、平家の軍勢の配置、平家物語などの記述をはじめさまざまな角度から考証がなされており現在も決め手を欠いているが、逆に歴史を推理する楽しみを残してくれているといえよう。

いずれにせよ鵯越の逆落としは平家の予想を裏切る奇襲作戦だったようで、 平家物語には「およそ人間のしわざとは思えないことだ」と記されている。文学的な誇張は当然あるにせよ、当時の人々に相当な衝撃を与えたからこそ、現代にも語り継がれているに違いないだろう。


一ノ谷の合戦は地車の彫刻にも好んで用いられる場面のひとつである。平家物語がそもそも美談であり、泉州の男の心を掴んでいて好まれているのだが、一ノ谷の合戦の鵯越の逆落としにはさらに美談がある。


畠山重忠は鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の御家人であり、源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、後に臣従して治承・寿永の乱で活躍する。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。

重忠は一ノ谷の合戦で義経の搦手軍に属し、平家物語を基に話を膨らませた源平盛衰記では鵯越の逆落としで他の大勢の群集は馬に跨ったまま急坂を駆け下りているのだが、重忠は「馬を損ねてはならず」と馬を背負って坂を下りている。怪力でその力を誇示したのではあるが、愛馬を大切に扱ったというその史実は泉州の男の心を掴み、一ノ谷の合戦と言えば馬を背負っている重忠の彫刻が必ず見られるのである。


一ノ谷の合戦は非常に立体感のある場面であり、だんじりでは見送りや松良に好んで彫られるのであるが、1ヶ月後に迫った下出のやぐらの彫刻にもこの場面が見られるという噂である。はたしてどの部分にこの彫刻が入るのか、非常に楽しみな一つである。


画像 1189.jpg岸和田市沼町先代WEBSITE民族スポーツとだんじり祭り

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地車の彫刻では馬の四足を掴んでおぶる重忠が彫られていることが多いが、実際のところは前足を持ち上げて馬のバランスをとった程度だという説もある。
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2007年11月20日

粟津原合戦〜巴御前の勇姿〜

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久々にホームページを更新しました。休みで暇のあるときはちょくちょく更新して行こうと思います。今回は地車彫刻物語、巴御前。


鬼神に勝る巴御前の勇力

女武将として名を轟かせた巴御前。片手に恋、片手に剣を馬にまたがったら帰し歴史の一齣だった。恋の相手は義仲。すでに妻も子もいた。巴にとって妻以上に純粋な愛があると思っていたのだろう。

宇治川の戦いで源義経に破れ、敵中を突破して北陸まで逃げ延びるとき、巴御前を入れて主従はわずか七騎になっていた。琵琶湖湖畔の粟津まで逃げ延びたのもつかの間、敵が急迫してきたとき義仲は巴を諭した。

「木曽殿の最後の戦に女を連れてきたといわれるのも心外なり」

義仲は巴の身を案じ落ち行くように命じたが、巴はなかなか行こうとはしない。巴が渋っている中、そこへ三十騎程で敵軍が現れる。髪おかず戦となるが、巴は武蔵野国の飯田八郎師重という大力の武将をむんずと掴んで馬から引き摺り落とし、討ち取り東国の方へ去っていった。


この話には巴が敵方の武将の鎧を引きちぎったという逸話があり、地車彫刻にはその場面が多く採用されている。また、地車は女神〈メシン〉という信仰が根強く(建物や建築物に住くう神は女神)、地車彫刻には女性が登場することが少ないが、巴御前の生き様や粟津での美談から地車彫刻に好んで採用される場面のひとつである。

下松町彫刻


彫刻ページはこちらからhttp://sazern9.fc2web.com/chokoku/index.html

優雅・伝統・秋祭りhttp://sazern9.fc2web.com/index.html
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2007年11月01日

THEスライディング 鳥取中



世間では昇魂式だの神上式だの。

結局仕事で帰れませんんでした。宮さんまで行って兵庫まで帰ろうと思ってたんですが、キャンペーンで8時ごろから職場に行ってるもんで到底無理でした。残念。

生まれたときから21年もずっと一緒に歩んできた地車と最後のお別れができないなんて辛いです。もし曳くことができたら最後までナガヤにしがみついて泣いてただろう。

もしこれで新調入魂式に行けないなんてなったら7年間も命かけて命削って新調委員で奔走してきたのは何だったんだろ。入魂式が春需とかぶったら確実に行けないだろうし、その頃には日本の最果てまで異動になってるかもしれん。北海道や沖縄からいちいち地元に帰るのはしんどいだろうに。

まぁそんなこといいや。

もともとおいらは祭り見るのが好きなわけで、どれだけかっこよく魅せれるかを試行錯誤するのが好きなわけで、かっこいい祭りが見れたらそれで満足なわけ。かっこいい祭りができているかどうかが問題なんだけど。

まぁいいや。

祭りのビデオとか見るのも好きやから、今年のビデオとか写真とか楽しみにしてます。なんかだんじりややぐらがすっごい好きな人ってだんだんこっちよりに移行していくみたいですね。昔からよう言われます、「祭り好きなやつほど祭りをやめる」と。

まぁまぁ。

今回は中村のスライディングを載せておきます。

今年の祭りを見てると鳥取中の青年団、しこるのめっちゃしんどそうに感じました。しこるたびに前に出てしまって、おそらくコマがちびてきて前荷になってるんだと思います。ナガヤ持ってたら滅茶苦茶重たいんでしょうな。重たいやぐらは大変だ。。
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