おいらは言わずと知れた明石市に住んでおります。大阪方面に行くときは国道の2号線を通ります。2号線をどしどし大阪方面に行っていると須磨にさしかかったところに『一ノ谷』という場所があります。
無論、あの有名な一ノ谷の合戦があった場所。
源義経が一の谷の戦いを大勝利に導いたあの有名な鵯越の逆落としがあるが、それが行われた場所については説が分かれている。
一つは平家物語や昔からの言い伝えなどにより、 一の谷の背後にある鉄拐山の東南の斜面であるという説で、 もう一つは現在も地名として残っており神戸電鉄の駅名にもなっている北区の鵯越であるという説。
どちらの説もそれぞれ、地形や義経軍の進路、平家の軍勢の配置、平家物語などの記述をはじめさまざまな角度から考証がなされており現在も決め手を欠いているが、逆に歴史を推理する楽しみを残してくれているといえよう。
いずれにせよ鵯越の逆落としは平家の予想を裏切る奇襲作戦だったようで、 平家物語には「およそ人間のしわざとは思えないことだ」と記されている。文学的な誇張は当然あるにせよ、当時の人々に相当な衝撃を与えたからこそ、現代にも語り継がれているに違いないだろう。
一ノ谷の合戦は地車の彫刻にも好んで用いられる場面のひとつである。平家物語がそもそも美談であり、泉州の男の心を掴んでいて好まれているのだが、一ノ谷の合戦の鵯越の逆落としにはさらに美談がある。
畠山重忠は鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の御家人であり、源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、後に臣従して治承・寿永の乱で活躍する。知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。
重忠は一ノ谷の合戦で義経の搦手軍に属し、平家物語を基に話を膨らませた源平盛衰記では鵯越の逆落としで他の大勢の群集は馬に跨ったまま急坂を駆け下りているのだが、重忠は「馬を損ねてはならず」と馬を背負って坂を下りている。怪力でその力を誇示したのではあるが、愛馬を大切に扱ったというその史実は泉州の男の心を掴み、一ノ谷の合戦と言えば馬を背負っている重忠の彫刻が必ず見られるのである。
一ノ谷の合戦は非常に立体感のある場面であり、だんじりでは見送りや松良に好んで彫られるのであるが、1ヶ月後に迫った下出のやぐらの彫刻にもこの場面が見られるという噂である。はたしてどの部分にこの彫刻が入るのか、非常に楽しみな一つである。
地車の彫刻では馬の四足を掴んでおぶる重忠が彫られていることが多いが、実際のところは前足を持ち上げて馬のバランスをとった程度だという説もある。
















